

Odissi danceの演目のご紹介
このページでは、佐藤幸恵が踊るオディッシーダンスの演目解説や、神話背景、ラサ(感情美)、アビナヤ表現などをまとめています。
オディッシーダンスは、インドの神話や叙事詩、祈りや愛の物語を、ムドラ(手印)や表情、身体表現によって描く古典舞踊です。
演目は少しずつ追加していきますので、ぜひ時々覗きに来てください。
インド舞踊の奥深い世界を楽しんでいただけたら嬉しいです。
Vande Krishna
クリシュナ神がバカスラを倒す ― 勇気と神性の物語
(マハーバーラタより第4話クリシュナの少年時代より抜粋)
マトゥラーの残忍な支配者であり、クリシュナの母方の叔父であるカンサは、自分の最期が神の子クリシュナの手によって訪れることを知っていた。恐怖に駆られた彼は、当時ゴークルで平和に暮らしていたクリシュナを殺すための策略を絶えず練っていた。その一つが、悪魔バカスラを送り込んで少年を抹殺するというものだった。そして、その後に展開されたのは、比類なき勇気と神の力に満ちた物語だった。
クリシュナ神とバカスラ
カンサの恐怖と邪悪な計画
クリシュナの残酷な叔父カンサは、常に落ち着きを失っていた。彼は自分の最期が甥の手によって訪れることを知っており、その考えが頭から離れることはなかった。彼は毎日、ゴークルで平和に暮らす少年を始末するための新たな方法を練っていた。
バカスラがゴクルにやってくる
ある日、カンサは恐ろしい悪魔バカスラを呼び出し、クリシュナを始末するように命じた。バカスラは時間を無駄にせず、誰をも怖がらせるほど巨大な恐ろしい鳥に変身し、ゴークルへと向かった。
一方、クリシュナはいつものように友達と森で遊んでいた。あたりは笑い声で満ち溢れていたが、突然巨大な影が彼らに覆いかぶさった。見上げると、子供たちは巨大な鳥がまっすぐ自分たちに向かって飛んでくるのを見た。
クリシュナの勇気と悪魔の撃破
クリシュナは、これがただの鳥ではないことを即座に悟った。これはカンサの悪魔の一体で、彼を攻撃するためにやってきたのだ。
バカスラが嘴を大きく開けて急降下してきたとき、クリシュナは逃げなかった。それどころか、彼はその場に立ち止まり、鋭い嘴を掴んで、そのままその中に飛び込んだ。悪魔が反応する間もなく、クリシュナは中で激しく暴れ回り、悪魔はもう耐えられなくなった。
バカスラの嘴はひび割れて折れた。激痛に耐えかねた悪魔は、力尽きて地面に倒れ込んだ。
クリシュナの友人たちの喜び
クリシュナは無傷で出てきた。友人たちは駆け寄って彼をしっかりと抱きしめ、安堵の歓声を上げ、笑い合った。クリシュナはまたしても彼らを救ったのだ。



聞き取り原文
Vrinder vanapura Lorkha paya kaya
Gopatana dara kayan
gopabadkra manasa ranchana
basara jana pari param
Vrinder vanapura Lorkha paya kaya
Gopatana dara kayan
krishna vakshi vadanam vande rada rama ram
ラサ解説
この歌には、複数のラサ(感情美)が重なっている。
1. Sakhya Rasa(友情のラサ)
「gopa-bālaka-mānasa-rañjanam」によって表現されるのは、
牧童たちと遊び、笑い合う幼少クリシュナの姿。
神でありながら、友として共に駆け回る親密さがある。
2. Vātsalya Rasa(慈愛のラサ)
「gopa-trāṇa-dhara-kāraṇam」には、
人々や牛飼いたちを守護する慈悲深いクリシュナが表れている。
母ヤショーダーの愛、村人たちの信頼、
守護神としての包容力が漂う。
3. Mādhurya Rasa(甘美なる愛)
最後の「Rādhā-ramaṇam」によって、
物語は友情や慈愛から、神秘的な愛へと昇華される。
ここでのクリシュナは、
宇宙的な愛を象徴する“永遠の恋人”として現れる。
【 演目構成解説 】
― バカースラ戦からラーダー・クリシュナ讃歌へ ―
この演目は、幼少クリシュナが魔鳥バカースラを討伐する場面から始まり、
その後、ラーダーとクリシュナの神聖な愛を讃える世界へと移行していく構成となっている。
前半では、クリシュナは「悪を打ち砕く守護者」として現れる。
巨大な魔鳥バカースラは、恐怖・傲慢・闇の象徴。
クリシュナはその嘴を引き裂き、世界を守護する神としての力を示す。
ここでは、
-
Vīra Rasa(英雄)
-
Raudra Rasa(怒り)
-
Adbhuta Rasa(神秘)
が強く表現される。
鋭い視線、力強いチャウカ、素早い足運びによって、
神の戦いと超越的な力を描き出す。
しかし、戦いの後、舞台の空気は徐々に変化していく。
恐怖を払ったクリシュナは、
今度はヴリンダーヴァンで牧童たちと遊び、
人々の心を歓喜で満たす存在として現れる。
ここから音楽は柔らかくなり、
演目は「ラーダー・ラマナ(ラーダーの恋人)」としてのクリシュナへ移行する。
後半では、
-
Sakhya Rasa(友情)
-
Vātsalya Rasa(慈愛)
-
Mādhurya Rasa(甘美なる愛)
が中心となる。
つまりこの作品は、
「闇を打ち砕く神」から
「魂を愛で満たす神」へと変容していく、
クリシュナの二面性を描いた演目である。
戦いの力強さと、愛の柔らかさ。
その両方が共存することで、
クリシュナという存在の宇宙的な魅力が浮かび上がっていく。
ヴリンダーヴァンの世界を守護する御方。
牛飼いたちを救うために現れし者。
牧童たちの心を歓喜で満たすクリシュナ。
その微笑みは、人々の魂を優しく染める。
すべての生命を慈しみ守護する御方。
私は、その美しき御顔のクリシュナを礼拝する。
ラーダーを愛する永遠の恋人を――。
推定正式表記(IAST)
Vṛndāvana-pura-loka-pālaka
Gopa-trāṇa-dhara-kāraṇam
Gopa-bālaka-mānasa-rañjanam
Vasudhā-jana-paripālanam
Vṛndāvana-pura-loka-pālaka
Gopa-trāṇa-dhara-kāraṇam
Kṛṣṇa-vaktra-vadanaṁ
vandeRādhā-ramaṇam
Sakhi He Kesi Madana Mudaram
アビナヤ(演劇要素の強い演目)
インド叙事詩『ギータ・ゴーヴィンダ』の第六の歌では、ラーダーが友人サキーに対して告白する。たとえクリシュナが他の女性を欲したり、彼女たちと踊ったとしても、彼の魅惑的な引力のオーラに心を奪われてしまい、彼の否定的な性質を見抜くことができないのだと。この歌においてラーダーは「ヴィラホートカンティター・ナーユィカー」、すなわち恋人の不在に苦しむヒロインとして描かれる。彼女はサキーに、クリシュナを見つけ出して自分のもとへ連れてくるよう懇願する。ラーダーは恋い焦がれるなかで、クリシュナと初めて結ばれた夜の記憶をサキーと分かち合う。
The sixth song of “Gita Govindam”, Radha confesses to her friend, Sakhi, that although Krishna may desire other women or dance with them, she is mesmerized by his captivating aura of attraction and cannot see beyond it to his negative qualities. In this song Radha plays the Virahotkanthita Nayika, or the heroine distressed in the absence of her lover. She implores Sakhi to find Krishna and bring him to her. In her longing, Radha shares with Sakhi the memory of the first night when she was united with Krishna.

アビナヤ作品解説
『ギータ・ゴーヴィンダ』第六章より。
ラーダーが友人サキーに対し、クリシュナとの愛の記憶を打ち明ける作品。
ラーダーは、恋人クリシュナが他の女性たちと踊っていると知りながらも、その魅力から離れることができず、深い恋慕に苦しんでいる。
この作品でラーダーは
Virahotkanthita Nayika(ヴィラホートカンティター・ナーユィカー)
――「恋人の不在に苦しみ、待ち焦がれるヒロイン」
として描かれる。
~演目の流れ~
1. 逢瀬の記憶
ラーダーはサキーに対し、
クリシュナと初めて結ばれた夜の記憶を語り始める。
森の小屋で密かに出会い、
恥じらい、戸惑いながらも、
次第に愛へ溶け込んでいくラーダー。
ここでは、
-
恥じらい
-
恋慕
-
ときめき
-
甘美な幸福
などの感情が繊細に表現される。
2. 愛への没入
作品中盤では、
ラーダーはクリシュナとの愛の時間を回想する。
視線、微笑み、触れ合い、抱擁――
ラーダーはクリシュナの存在そのものに魅了され、
心も身体も神への愛へと溶けていく。
ここでは
Mādhurya Bhakti(甘美なる神への愛)
が中心となる。
3. 恋人の不在
幸福な記憶を語るほど、
ラーダーの孤独と切なさは深まっていく。
彼女はサキーに、
「どうかクリシュナを探し出し、私のもとへ連れてきてほしい」
と懇願する。
愛の歓喜と、離別の苦しみが同時に存在することが、
この作品最大の特徴である。
「アビナヤ(Abhinaya)」とは、
インド古典舞踊における演劇的表現を意味する。
神話や叙事詩、恋愛詩などを、
ムドラ(手印)、表情、視線、身体表現によって描き出し、
感情を観客へ伝えていく。
踊り手と観客の間には、
目に見えない“感情のエネルギー”が生まれ、
その共鳴によって「ラサ(美的感動)」が成立する。
『アビナヤ・ダルパナ』より
“Yato hasta tato drishtiYato drishti tato manahYato manah tato bhavaYato bhava tato rasa”
「手の赴くところに目が向かい、目の赴くところに心が向かう。
心の赴くところに感情が生まれ、感情の赴くところにラサ(美的感動)が生まれる。」
これはインド古典舞踊における、アビナヤの本質を表した言葉として伝えられている。